大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第二小法廷 平成4年(オ)2148号 判決

上告人

町谷春雄

外四名

右五名訴訟代理人弁護士

大野康平

北本修二

下村忠利

小田幸児

被上告人

右代表者法務大臣

松浦功

右指定代理人

大手昭宏

被上告人

大阪府

右代表者知事

山田勇

被上告人

泉佐野市

右代表者市長

向江昇

右訴訟代理人弁護士

小松英宣

赤坂久雄

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人大野康平、同北本修二、同下村忠利、同小田幸児の上告理由第三の二について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立って原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。

その余の上告理由について

一  右上告理由に係る本件請求は、大阪府泉佐野市において実施された同市議会議員の一般選挙の選挙人で右選挙において投票した上告人らが、大阪府警察本部所属の警察官らのした投票済み投票用紙の差押え等により投票の秘密に係る自己の法的利益が侵害されたとして、損害賠償を求めるものである。

二  原審の適法に確定した事実関係の概要は、次のとおりである。

1  昭和六一年五月一八日、大阪府泉佐野市において、同市議会議員の一般選挙(以下「本件選挙」という。)が施行された。

2  上告人らは、本件選挙の選挙人であり、右選挙の期日に投票所において投票した。

3  上告人国賀祥司は、本件選挙に立候補し、一一五八票を得て当選した。同人はいわゆる中核派に近い政治的立場を採っており、「関西新国際空港絶対反対泉州住民の会」の事務局長であった。

4  本件選挙に先立つ同年二月ころ、中核派構成員と目される者五五名により泉佐野市の区域内への転入届が提出されたが、右届けに係る住所には同人らの居住の事実が認められなかったことなどから、大阪府警察本部は、右の者らによる転入届は、中核派の構成員が謀議の上、上告人国賀を当選させるため選挙権を取得する目的でされたものであるとみて、右五五名に公正証書原本不実記載、同行使の嫌疑を抱くとともに、右五五名のうち選挙人名簿に登録された三七名(当初は三八名)については公職選挙法二三六条の詐偽登録罪の嫌疑を抱き、かつ同人らが同法二三七条二項に規定する詐偽投票の行為に出る可能性が大であると考えた。

5(一)  そこで、大阪府警察本部所属の警察官らは、一連の任意捜査を経た上、詐偽投票をした事実等を裏付ける目的で、昭和六一年五月一九日、佐野簡易裁判所裁判官に対し、被疑者青木克美、被疑罪名公正証書原本不実記載、同行使及び公職選挙法違反、差し押さえるべき物青木克美ら三二名の泉佐野市議会議員一般選挙投票所入場券等とする差押許可状の発付を請求したところ、同日、同裁判所裁判官は、右内容の差押許可状を発付した。なお、右請求に係る被疑事実の要旨は、「一被疑者青木克美ら三八名は、真実は泉佐野市内に居住していないのに同市を住所とする住民異動届をなして住民基本台帳にその旨不実の記載をさせ、これを備え付けさせて行使するとともに、本件選挙に際し、選挙人名簿に氏名等を登録させて詐偽登録をなし、二青木克美ら三二名の者は、昭和六一年五月一八日、投票所において資格を偽って投票用紙の交付を受けて投票し、もって詐偽投票をした。」などというものであった。

(二)  また、同年六月二日、佐野簡易裁判所裁判官に対し、被疑者名、被疑事実等は右差押許可状と同一とし、差し押さえるべき物を泉佐野市議会議員一般選挙候補者上告人国賀祥司名記載の投票済み投票用紙とする捜索差押許可状の発付を請求し、同日、同裁判所裁判官は、右内容の捜索差押許可状を発付した。

6  大阪府警察本部所属の警察官らは、右各許可状に基づいて、同年五月二一日、投票所入場券三二枚等を押収し、同年六月三日、上告人国賀祥司名記載の投票済み投票用紙一一五八枚を押収した(以下「本件差押え」という。)。

7  大阪府警察本部所属の警察官らは、押収した投票用紙の指紋検出を行い、そのうち二二六枚について対照可能な指紋を検出した上、これと前記詐偽投票罪の被疑者のうち警察が指紋を保管していた二六名の者の指紋とを照合した結果、うち五名について指紋が一致した。

8  なお、上告人らは本件詐偽登録罪及び詐偽投票罪の被疑者にはされておらず、また、同人らの指紋が押収した投票済み投票用紙から検出された指紋との照合に使用されたという事実もない。

三 右事実関係によれば、本件差押え等の一連の捜査により上告人らの投票内容が外部に知られたとの事実はうかがえないのみならず、本件差押え等の一連の捜査は詐偽投票罪の被疑者らが投票をした事実を裏付けるためにされたものであって、上告人らの投票内容を探索する目的でされたものではなく、また、押収した投票用紙の指紋との照合に使用された指紋には上告人らの指紋は含まれておらず、上告人らの投票内容が外部に知られるおそれもなかったのであるから、本件差押え等の一連の捜査が上告人らの投票の秘密を侵害したとも、これを侵害する現実的、具体的な危険を生じさせたともいうことはできない。したがって、上告人らは、投票の秘密に係る自己の法的利益を侵害されたということはできない。そうすると、その余の点を判断するまでもなく、投票の秘密に係る法的利益の侵害に基づく上告人らの損害賠償請求は理由のないことが明らかであるから、上告人らの右請求を棄却すべきものとした原審の判断は、結論において是認することができる。論旨は採用することができない。

よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官福田博の補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

裁判官福田博の補足意見は、次のとおりである。

本件は、公職選挙法の詐偽投票罪の捜査のため、警察が市議会議員の一般選挙において特定候補者の氏名を記載した投票用紙全部を差し押さえ、右投票用紙から検出された指紋と警察が保管していた指紋とを照合し、一部の選挙人の投票内容が警察に知られるに至った事案であって、第一審以来右差押え等が憲法一五条四項前段の投票の秘密の保障に違反するか否かが争点として取り上げられ、原審はこれを憲法に違反しないと判断したものであるところ、この問題は、選挙犯罪の捜査の必要性と投票の秘密の保持との関係をいかに解するかという憲法解釈上の重要な論点を含むものであり、当裁判所の明確な先例もない分野である。私は、上告人らの法的利益が侵害されたとはいえないから、その余の点を判断するまでもなく本件上告を棄却すべきであるとする法廷意見に同調するものであるが、この際、念のため、私の意見を述べておきたい。

一 憲法一五条四項前段が保障する投票の秘密とは、選挙において、投票と投票者とのつながりが投票者自身以外の者に知られないようにするという原則をいうものである。投票の秘密の保障は、選挙人が自己の自由な判断に従って投票できるようにするための必須の条件を成しており、近代の選挙法において、普通選挙、平等選挙、直接選挙と並ぶ基本原則ともいうべき重要な位置を占めている。我が国の憲法もこれを明文で保障し、これを受けて公職選挙法は、無記名投票の原則(四六条四項)、投票用紙公給主義(四五条、六八条)何人も投票した被選挙人の氏名等を陳述する義務のないこと(五二条)、混同開票主義(六六条二項)などの規定を設けるとともに、公権力による投票の秘密の侵害に対して罰則を設けているところである(二二六条二項、二二七条)。

そして、このように投票の秘密の保障は、選挙権のない無資格者のした投票にも及ぶと解するのが妥当である。けだし、無資格者は秘密投票をする権利を有するとは直ちにはいえないが、無資格者の投票については公権力により投票内容の探索が自由にできると解した場合、選挙において必要とされる自由な雰囲気が圧迫され、また、正当な選挙人の投票の秘密まで危険にさらす事態が引き起こされる可能性があるからである。当裁判所も、選挙の効力を定める手続においては、無資格者の投票であっても投票内容を探索することは許されないという立場を明らかにしている(最高裁昭和二三年(オ)第八号同年六月一日第三小法廷判決・民集二巻七号一二五頁、最高裁昭和二三年(オ)第一二三号、第一二四号同二五年一一月九日第一小法廷判決・民集四巻一一号五二三頁)。

二 他方、憲法前文は「正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し」と代表民主制をうたっているが、選挙において買収、詐欺投票等の不正が行われるならば、選挙人の自由な意思が選挙の結果に正しく反映されることは期待し難いことになるのであり、正当な選挙の実施のためには、選挙の公正の維持、確保が必要不可欠である。そのため、公職選挙法には詐偽投票罪等の各種の罰則規定が置かれているのであり、このような選挙犯罪の捜査、検挙を通じて選挙の公正の維持、確保を図ることも、憲法上の要請であるというべきである。

三 ところで、投票の秘密といえども絶対無制限に保障されるものではなく、犯罪捜査の必要等他の利益のため、一定の制約を受けることがあり得るところである。本件の場合は、いずれも憲法上の要請である「選挙の公正の確保」と「投票の秘密の保障」という二つの利益が対立しているのであり、このような場合、両者の間では投票の秘密の保障が必ず優越し、およそ投票の秘密を侵害するような捜査が許されないとすることは適切でないと考えられる。

四 しかしながら、投票の秘密は、憲法において明文で保障されている制度であって、選挙人の自由な意思による投票の確保を目的とし、代表民主制を直接支えるものであるのに対し、選挙犯罪の捜査は、選挙犯罪を取り締まることによって将来同じような不正が行われることを抑止し、もって選挙の公正の確保を図ることを本来の目的とするものであって、代表民主制を支える役割はより間接的なものであるから、投票の秘密の保持の要請の方が選挙犯罪の捜査の要請より一般的には優越した価値を有するというべきである。しかも、選挙犯罪の捜査は投票内容の探索に必然的に結び付くものではなく、投票の秘密を侵害しない方法により捜査することが可能な場合も多いと考えられること、捜査の必要性といっても事案によって軽重があることなどからすると、選挙犯罪の捜査において投票の秘密を侵害するような選挙方法を採ることが許されるのは極めて例外的な場合に限られるというべきであって、当該選挙犯罪が選挙の公正を実質的に損なう重大なものである場合において、投票の秘密を侵害するような捜査方法を採らなければ当該犯罪の立証が不可能ないし著しく困難であるという高度な捜査の必要性があり、かつ、投票の秘密を侵害する程度の最も少ない捜査方法が採られるときに限って、これが許されると解すべきである。

五 これを本件についてみるに、(一) 本件で警察が嫌疑を抱いた詐偽投票の内容は、三二名の者が詐偽投票をしたというものであるところ、本件選挙においては、定数二八名のところに三二名の者が立候補し、上告人国賀は一一五八票を得、二七番目の得票数で当選したこと、最下位の当選者の得票数は一一三二票、次点の者の得票数は一〇一七票であったことが記録上うかがわれるのであり、本件選挙のこのような得票数の分布状況等に照らすと、本件詐偽投票の規模が本件選挙の公正を実質的に損なうほど重大なものであったとは必ずしもいえないこと、(二) 先に警察は本件被疑者らの投票所入場券を押収しており、それによって被疑者らの投票所への入場の事実は確認されているところ、投票所に入場した事実から、特段の事情のない限り、被疑者らが投票したという事実を推認することができること、(三) 少なくとも投票所に入場したという事実から「投票しようとした」という詐偽投票罪の構成要件は容易に立証できると考えられるところ、詐偽投票罪においては、投票をした場合と投票しようとした場合とで法定刑は異ならないから、あえて投票をしたという事実を裏付けるため本件差押えをする必要性がどの程度あったか疑問であることなどの諸点に照らすと、本件は、投票の秘密の侵害を引き起こすような捜査をすることが許される例外的場合に当たらず、本件差押えは憲法一五条四項前段に違反するものであったというべきである。

(裁判長裁判官福田博 裁判官大西勝也 裁判官根岸重治 裁判官河合伸一)

上告代理人大野康平、同北本修二、同下村忠利、同小田幸児の上告理由

〈省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例